世界の靴の20%を作る場所をご存知でしょうか?中国・福建省にある晋江(ジンジャン)市です。かつては「世界の工場」として安価な労働力を武器にしていましたが、今、その姿は劇的に変わりつつあります。
スポーツウェア大手ANTA(安踏)を中心に、AIによるデザインで数百億円規模の売上を生み出し、5Gネットワークで工場全体を自律稼働させる「スマート製造都市」へと進化したのです。
本記事では、伝統的な労働集約型産業がいかにしてテクノロジーで「再現性のある高付加価値モデル」へと転換したのか、その最新事例を解説します。これは、少子高齢化と人手不足に悩む日本の製造・物流企業にとって、極めて重要な先行事例となるはずです。
世界の製造トレンド:労働集約から「知能集約」へ
かつての中国製造業の強みは「安さ」と「量」でした。しかし、人件費の高騰とともにその優位性は薄れ、現在では国策として「スマート製造(Smart Manufacturing)」への転換を急ピッチで進めています。
この動きは単なる自動化(Automation)ではありません。AIがトレンドを予測して製品を設計し、5Gでつながった工場が即座に生産を開始し、物流網が自動で配送する「知能集約型」へのシフトです。
世界の製造業のDXアプローチを比較すると、以下の特徴が見えてきます。
| 地域 | 主な特徴 | 日本企業への示唆 |
|---|---|---|
| 中国(晋江など) | トップダウン×実装スピード。 行政の補助金をテコに、AI/5Gを地域全体で一斉導入。失敗を恐れず市場投入する。 | 実証実験(PoC)で止まらず、実益が出る規模まで一気に投資する「スケール化」の重要性。 |
| 米国 | プラットフォーマー主導。 デジタルツインや生成AI活用で、設計から物流までをバーチャルで最適化。 | データの可視化だけでなく、AIによる自律的な意思決定プロセスの構築。 |
| 欧州(ドイツ等) | 標準化×インダストリー4.0。 企業間のデータ連携規格を重視し、サプライチェーン全体の効率化を図る。 | 1社単独ではなく、サプライヤーや物流業者を巻き込んだエコシステムの形成。 |
テスラ工場も採用。中国ロボット「量産・実用化」の衝撃と日本の活路でも解説した通り、中国の強みは「技術の実用化スピード」にあります。晋江市の事例はその最たるものです。
先進事例:晋江市とANTAが実現した「AI365戦略」
晋江市で起きている変革の中心には、中国スポーツ用品最大手のANTA(安踏)と、それを支える強力な官民連携があります。具体的な数字とともにその中身を見ていきましょう。
デザイン革命:AIが550億円を稼ぎ出す
最大の変化は「企画・開発」のプロセスにあります。ANTAは「AI365戦略」を掲げ、AI活用率50%以上を目指しています。
- 期間短縮: 従来数ヶ月かかっていた靴のデザイン工程を、AIとVR(仮想現実)を活用することで最短4日に短縮。
- 成約率向上: ビッグデータに基づき消費者の好みをAIが分析・生成するため、商品化の成約率が20%向上。
- 経済効果: AIがデザインに関与した商品の受注額は、すでに25億元(約550億円)を突破。
これまで「職人の勘と経験」に頼っていたデザイン領域をデータドリブンに変えることで、圧倒的なスピードとヒット率を実現しています。
5Gスマート工場:エレベーターに乗るAGV
生産現場では、チャイナテレコム(中国電信)との提携により、5Gネットワークを張り巡らせたスマート工場が稼働しています。
- AGVの自律移動: 5Gの低遅延通信を活用し、無人搬送車(AGV)が工場内を自律走行。特筆すべきは、AGVが工場のエレベーターを自動で呼び出し、フロアをまたいで倉庫と生産ラインを往復している点です。
- AI検品: 以前は人間が目視で行っていた検品作業に「AI視覚検査」を導入。5G経由で高解像度映像を解析し、1日20万枚の下着や靴のパーツを安定して検査・生産しています。
物流倉庫内での自動化は日本でも進んでいますが、製造ラインと倉庫、そして階層移動まで含めたシームレスな連携は、5Gインフラの強さを感じさせます。
詳細は物流AIは「見る」から「指揮する」へ。2026年、自律エージェントの衝撃でも触れていますが、AIが現場の「目」となるだけでなく、搬送指示を出す「指揮官」となることで、物流の淀みを解消しています。
行政のブースト:200万元の報奨金
この変革を裏で支えているのが、晋江市政府による強力な支援策です。
- 資金援助: デジタルトランスフォーメーション(DX)の技術実用化に対し、最大200万元(約4400万円)の報奨金を支給。
- 研究基盤: 中国科学院や有力大学と連携し、14の高水準な研究プラットフォームを市内に設立。
中小企業単独では難しいAIや5Gの導入を、行政が「資金」と「技術」の両面でリスクテイクすることで、地域全体の底上げ(クラスターの高度化)に成功しています。
日本企業への示唆:今すぐ取り入れるべき視点
「中国だからできる大規模投資だ」と片付けてしまうのは早計です。晋江モデルの本質は、規模の大きさではなく「既存産業の再定義」にあります。日本の物流・製造業がここから学べるポイントは3つあります。
1. 「リードタイム短縮」を最大の付加価値にする
ANTAの事例で注目すべきは、AI導入の目的が単なる「コスト削減」ではなく、「トレンドを逃さないスピード」にある点です。
日本の物流現場でも、AIによる需要予測と在庫配置の最適化を組み合わせれば、リードタイムを劇的に短縮できます。消費者のニーズが多様化する現在、「欲しい時にすぐ届く(作れる)」こと自体が高付加価値になります。
2. 人とAIの役割分担を「共存」から「拡張」へ
晋江の工場では、人が完全にいなくなったわけではありません。AIがデザインの素案を出し、人間が最終調整する。AIが検品し、人間が機械のメンテナンスをする。
このように、AIを「人の代替」としてではなく、「人の能力を拡張するツール(Copilot)」としてプロセスに組み込んでいます。日本企業が得意とする「現場のカイゼン」にAIという武器を持たせる発想が必要です。
3. 地域や業界単位での「共同DX」
晋江市のような行政主導の強力なトップダウンは日本では難しいかもしれません。しかし、同業種やサプライチェーン全体での連携は可能です。
例えば、物流業界における「フィジカルインターネット」のように、1社では解決できない課題(積載率向上や検品データの共有など)を、業界標準のプラットフォームで解決する動きが加速しています。
欧州や中国の事例を参考に、競合とも手を組む「協調領域」の見極めが急務です。
参考:「China set to lead…」レポート解説|人型ロボット覇権を握る中国と日本の物流DX
まとめ:再現性のある構造転換を目指して
中国・晋江市の事例は、靴という伝統的な産業であっても、AIと5Gを正しく実装すれば、最先端のスマート産業へ生まれ変われることを証明しました。
- デザインから生産までの圧倒的な高速化
- 5GとAGVによる工場・倉庫のシームレスな自動化
- 官民連携によるエコシステムの構築
これらが噛み合った時、企業は「下請け工場」から脱却し、市場をリードする存在になれます。
日本の物流・製造現場には、世界に誇る「現場力」があります。そこに、海外の「スピード」と「テクノロジー実装力」のエッセンスを取り入れることができれば、日本の産業は再び世界を驚かせる可能性を秘めています。まずは、自社の工程のどこにAIという「加速装置」を組み込めるか、小さな実験から始めてみてはいかがでしょうか。


