2025年3月、国際物流業界にひとつの衝撃が走りました。主要な外航海運各社(キャリア)が、アジア発北欧州および北米向けコンテナ運賃の値上げ(GRI)を一斉に撤回したのです。
これまで強気な運賃設定を維持しようとしてきた船社側の戦略が、市場の実需に押し戻された形となります。その背後には、中国政府による突然の輸出政策変更と、それに対する市場の敏感な反応がありました。
なぜ今、船社は値上げを諦めざるを得なかったのか。そして、この「潮目の変化」は日本の荷主企業にとって何を意味するのか。本記事では、最新の海外物流トレンドを紐解きながら、日本企業が今取るべきサプライチェーン戦略について解説します。
中国VAT廃止が引き金。「値上げ撤回」の背景にある世界情勢
今回の運賃値上げ撤回劇は、単なる需給バランスの崩れだけが原因ではありません。最大のトリガーとなったのは、世界の工場である中国の政策変更です。
SCFI下落と主要船社の動き
2025年に入り、船社各社は運賃水準の維持に腐心してきました。しかし、最新のデータはその試みが限界に達していることを示しています。
上海航運交易所が発表する上海輸出コンテナ運賃指数(SCFI)は、3月中旬時点で下落に転じました。特にアジア・北欧州航路のスポット運賃は前週比0.6%減となり、船社が期待していた上昇気流は生まれませんでした。
これを受け、MSC(スイス)をはじめとする主要船社(Mainline Operators)は、3月中旬から予定していた北欧州および北米航路での運賃値上げ(GRI)やピークシーズンサーチャージ(PSS)の適用を見送る決断を下しました。
4月1日の政策変更がもたらす「駆け込み」と「反動」
この市場変動の震源地は、中国財政省による発表にあります。中国政府は、2025年4月1日付で太陽光パネル(PV)、バッテリー、および一部の非金属鉱物製品に対する輸出増値税(VAT)の還付を廃止すると決定しました。
これまで輸出企業は、製品輸出時に支払ったVATの一部(多くは13%程度)の還付を受けることで価格競争力を維持してきましたが、この恩恵が消滅します。
これにより、市場では以下のような短期的な混乱が生じています。
- 3月までの動き: 制度変更前の「駆け込み出荷」が発生し、一時的にスペースが逼迫。
- 4月以降の懸念: 駆け込みの反動による荷動きの急減速(空白期間)への警戒感。
船社側は当初、駆け込み需要を見込んで強気の運賃設定を試みましたが、予想よりも早く需要のピークアウト感が広がり、値上げを維持できるだけの荷量を確保できなかったのが実情です。
船社のコントロール不全が露呈した2025年の海運市況
今回の出来事は、個別の運賃変動以上に、海運市場の構造的な変化を示唆しています。それは「船社による運賃コントロール機能の低下」です。
供給規律の崩壊と市場ボラティリティの再燃
コロナ禍以降、海運各社は「欠便(Blank Sailing)」を巧みに操ることで、需要減退期でも運賃を高止まりさせることに成功してきました。しかし、2025年の市場環境は異なります。
新造船の竣工ラッシュによる供給過剰が続く中、船社間の足並みが揃いにくくなっています。ある船社が運賃維持のために減便を行っても、別の船社がシェア拡大のために安値でスペースを提供すれば、運賃は崩れます。今回の値上げ撤回は、まさにこの「供給規律(Capacity Discipline)」が機能しなかった事例と言えます。
また、米国側の在庫状況も影響しています。以前の記事で解説したように、米国では倉庫在庫を極限まで減らす動きが見られ、これが不安定な輸送需要を生み出しています。
- See also: 米国「倉庫稼働率42.9」の衝撃。在庫なき物流への回帰が招く輸送リスク
地域別に見る物流市場への影響
| 地域 | 主要トピック | 物流への影響と予測 |
|---|---|---|
| 中国 | 4/1より太陽光パネル等のVAT還付廃止 | 輸出コスト上昇により、価格競争力が低下。長期的には生産拠点の国外移転(脱中国)が加速する可能性。 |
| 北米・欧州 | インフレ鈍化も需要回復は緩やか | 小売業者の在庫積み増し意欲が低く、スポット運賃の上昇を許容しない姿勢が鮮明。 |
| 海運市場 | 船社の価格決定力の低下 | 供給過剰圧力が強く、GRI(一括値上げ)が浸透しにくい。市場は再びボラティリティ(変動性)の高い状態へ移行。 |
【日本への示唆】変動する国際物流で日本企業が取るべき戦略
他国の事例やマクロトレンドは、日本企業の物流戦略にも直結します。今回の「値上げ撤回」と「中国の政策変更」から、日本の荷主企業は何を学ぶべきでしょうか。
1. 運賃交渉における「攻め」の好機
船社が値上げを撤回したという事実は、現在の需給バランスが「荷主優位」に傾きつつあることを示しています。
日本の商習慣では、長期的な関係性を重視して船社の言い値に近い条件で契約更新を行うケースも少なくありません。しかし、グローバルスタンダードでは、SCFIなどの市況データを根拠に、ドライな交渉が行われています。
- アクション: 4月以降の荷動き減速を見越し、スポット運賃の活用比率を高める、または契約運賃(SC)の見直しを打診する余地が生まれています。ただし、2025年はボラティリティが高いため、すべての物量を固定価格にするのではなく、市況連動型を取り入れるなどのポートフォリオ戦略が有効です。
運賃市況の予測には、金融データなどを活用した高度な分析が海外で進んでいます。こうしたデータドリブンな交渉術は、今後の日本企業にも不可欠になるでしょう。
- See also: 「金融×物流」データが暴く運賃の未来。米U.S. Bank参入が示すDXの核心
2. 「チャイナリスク」の再定義と調達コスト管理
中国のVAT還付廃止は、日本企業が中国から調達している部材や製品のコストに直結する可能性があります。今回は太陽光パネルやバッテリーが対象ですが、今後対象品目が拡大するリスクもゼロではありません。
- アクション: 中国からの調達コストが実質13%上昇する可能性をシミュレーションに組み込む必要があります。また、これを機に「チャイナ・プラス・ワン(ASEANやインドへの拠点分散)」の検討を、物流コストの観点だけでなく、政策リスク回避の観点からも加速させるべきでしょう。
3. 「見せかけの需要」に踊らされない在庫戦略
3月までの駆け込み需要は、あくまで政策変更による「特需」であり、実需の回復ではありません。この一時的な荷動きの活発化を「景気回復」と読み違えて過剰在庫を抱えると、4月以降の閑散期に高い保管コストを支払うことになります。
米国市場が示しているように、在庫の適正化は経営の生命線です。市場のノイズ(一時的な変動)とシグナル(長期的なトレンド)を見極める力が、物流担当者に求められています。
まとめ
主要船社による運賃値上げの撤回は、2025年の物流市場が「船社主導」から「需給実勢主導」へと揺り戻されていることを象徴しています。
中国のVAT還付廃止という政策変更が引き起こした波紋は、単なるコスト増にとどまらず、グローバルな荷動きのリズムを変えようとしています。日本の物流部門においては、以下の3点が重要な指針となるでしょう。
- 市況データに基づいた強気な運賃交渉
- 政策変更リスクを織り込んだ調達網の再設計
- 短期的な変動に惑わされない在庫コントロール
供給網の混乱が一段落した今こそ、海外の最新トレンドを「対岸の火事」とせず、自社の競争力強化につなげるチャンスです。変動する市場を味方につけ、次なる成長への布石を打ってください。

