【Why Japan?】なぜ今、Scope 3とトレーサビリティが日本企業にとって重要なのか
「Scope 3」。サステナビリティやESG経営に関心のある経営層や担当者の方であれば、一度は耳にしたことがあるでしょう。これは、自社の直接的な排出(Scope 1)、エネルギー使用による間接的な排出(Scope 2)以外の、サプライチェーン全体における温室効果ガス排出量を指します。
多くの企業にとって、このScope 3が総排出量の大部分を占めており、その報告と削減はもはや避けて通れない経営課題です。しかし、サプライヤーや顧客など、自社の管理外にある排出量を正確に把握することは極めて困難でした。
この課題を解決する鍵として、今、海外で急速に注目を集めているのが「トレーサビリティ」です。製品や原材料が「いつ、どこで、誰によって」作られ、運ばれたのかを追跡可能にすることで、Scope 3排出量を一次データに基づいて正確に算定し、削減へと繋げる。これは単なる環境規制対応に留まりません。サプライチェーンの非効率を特定してコストを削減し、透明性の高い製品を求める消費者や投資家からの信頼を獲得することで、「リスクを削減し、市場シェアを拡大する」強力な武器となるのです。
事実、米カリフォルニア州では2027年からのScope 3報告が義務化され、欧州では既に同様の規制が始まっています。グローバルでビジネスを行う日本企業にとって、この潮流は対岸の火事ではありません。本記事では、物流業界の海外トレンドウォッチャーとして、Scope 3報告におけるトレーサビリティ活用の最前線を、日本の物流企業が参考にできる形で徹底解説します。
世界の潮流:規制強化と市場原理がトレーサビリティ導入を加速
米国・欧州を中心に、Scope 3報告とトレーサビリティ確保は「努力目標」から「必須要件」へと変化しています。企業の自主性に任せる段階は終わり、法規制と市場からの圧力という両輪で導入が加速しているのが現状です。
| 国・地域 | 最新動向 | 日本企業への影響 |
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| 米国 | カリフォルニア州が2027年までにScope 3報告を義務化する法案を可決。年間売上10億ドル超の企業が対象。SEC(証券取引委員会)も気候関連情報開示の規則を強化する動きがあり、投資家からの圧力も強まっている。 | 米国で事業展開する、あるいは米国の顧客を持つ大手企業は、サプライチェーン全体の排出量データ提供を求められる可能性が高い。対応できなければ取引から除外されるリスクがある。 |
| 欧州(EU) | CSRD(企業サステナビリティ報告指令)により、特定の企業にScope 3を含むサステナビリティ情報の開示を義務化。さらに、CBAM(炭素国境調整メカニズム)では、輸入品の炭素排出量に応じて事実上の関税が課されるため、正確な排出量データの追跡が不可欠。 | EU向けに輸出を行う製造業や物流企業は、製品のカーボンフットプリントを証明する必要に迫られる。トレーサビリティの欠如は、コスト増大や市場からの締め出しに直結する。 |
| 消費者市場 | Context Informationによると、消費者は持続可能な製品に対し、最大10%多く支払う用意がある。Z世代を中心に、製品の背景にあるストーリーや環境負荷を重視する傾向が顕著になっている。 | サプライチェーンの透明性を確保し、それを消費者にアピールすることが、強力なブランド価値となり、市場シェア拡大に繋がる。特にBtoCビジネスでは無視できない要素となる。 |
このように、海外の規制や市場の変化は、日本のサプライチェーンにも直接的な影響を及ぼします。これは、国際的な競争の土俵に立つすべての企業、特に海外物流や貿易に関わる企業にとって、避けては通れない現実です。
関連して、海外の物流テクノロジーの動向については、こちらの記事もご参照ください。
海外トレンドから学ぶ物流テック最前線[日本企業はどう動く?]
先進事例:Walmartはなぜ「Project Gigaton」でサプライヤーを巻き込めたのか
世界最大の小売企業であるWalmartは、Scope 3削減の取り組みとして最も野心的な事例の一つ「Project Gigaton」を推進しています。これは、2030年までにサプライチェーンから10億トン(1ギガトン)の温室効果ガスを削減するという壮大な目標です。この成功の裏には、巧みなトレーサビリティ戦略が存在します。
成功要因1:標準化されたデータ収集の仕組み
Walmartは、膨大な数のサプライヤーから効率的にデータを収集するため、GS1(国際的な流通標準化機関)が提唱するグローバルスタンダードを活用しています。
- GTINs (Global Trade Item Numbers): 商品を識別するコード(日本のJANコードもこれに含まれる)。どの商品がどれだけ動いたかを正確に把握する基礎となります。
- GLNs (Global Location Numbers): 企業や事業所、倉庫などの場所を識別するコード。排出が発生した「どこで」を特定します。
- EPCIS (Electronic Product Code Information Services): 商品の移動履歴(イベントデータ)を共有するための標準規格。「いつ、どこで、何が、なぜ」起きたかを記録し、サプライチェーン全体の動きを可視化します。
GS1 USのDirector of InnovationであるVivian Tai氏が指摘するように、これらの標準化されたフレームワークを用いることで、サプライヤーは自社の排出量データを構造化された形でWalmartに報告できます。これにより、Walmartはサプライチェーン全体の排出量を正確に集計し、削減努力を評価することが可能になるのです。
成功要因2:サプライヤーへのインセンティブと支援
Walmartは、単にデータ提出を義務付けるだけではありません。「Project Gigaton」に参加し、目標を達成したサプライヤーを「Giga Gurus」として認定し、優先的なサプライヤーとして扱うなどのインセンティブを提供しています。
さらに、排出量算定ツールの提供や、専門家によるトレーニングプログラムなど、特にリソースの限られる中小サプライヤーへの手厚い支援策を用意しています。これにより、サプライヤー側の「どうすればいいかわからない」という障壁を取り除き、巨大なエコシステム全体で目標に向かう機運を醸成しているのです。
この事例は、Scope 3削減が自社だけの努力では不可能であり、サプライヤーとの協働と、それを支える物流DXの仕組みがいかに重要かを示しています。
日本への示唆:今すぐ取り組むべきことと、乗り越えるべき壁
海外の動向やWalmartの事例は、日本の経営者やDX担当者に多くのヒントを与えてくれます。しかし、そのまま日本に持ち込めるわけではありません。日本の商習慣や産業構造を踏まえた上で、戦略を立てる必要があります。
日本国内に適用する場合のポイント
スモールスタートで成功体験を積む
いきなり全サプライチェーンの可視化を目指すのは現実的ではありません。まずは、環境負荷が高いと想定される特定の製品カテゴリや、協力的な主要サプライヤーに絞って、トレーサビリティのパイロットプロジェクトを開始することが有効です。小さな成功体験は、全社的な展開への大きな推進力となります。
「守り」と「攻め」の両面からDX投資を捉える
Scope 3報告は、規制対応という「守り」の側面だけではありません。トレーサビリティを確保する過程で、輸送ルートの非効率、過剰な梱包、エネルギーの無駄遣いといったコスト削減の機会が可視化されます。この「攻め」の視点を持ち、ROI(投資対効果)を明確にすることで、経営層の理解を得やすくなります。
グローバルスタンダードの活用を検討する
海外との取引がある企業は特に、GS1が提供するGTINやEPCISのようなグローバルスタンダードの導入を検討すべきです。これにより、国内外の取引先とのデータ連携がスムーズになり、将来的な拡張性も確保できます。
乗り越えるべき日本の障壁
- 多層的なサプライチェーン構造: 日本の製造業は、二次、三次下請けといった多層構造が特徴です。末端のサプライヤーまで遡って一次データを収集することは極めて困難であり、協力体制の構築に粘り強い交渉が求められます。
- データ共有への抵抗感: サプライヤー側には、コストや生産量といった機密情報が漏洩することへの懸念があります。データの所有権やセキュリティポリシーを明確にし、信頼関係を構築することが不可欠です。
- 中小企業のIT投資余力: サプライチェーンを支える多くの中小企業には、データ収集・報告のためのシステムを導入する資金的、人的リソースが不足している場合があります。Walmartの事例のように、発注元企業からの支援が成功の鍵を握ります。
日本企業が今すぐ真似できること
- Scope 3の簡易算定: まずは環境省などが提供するガイドラインを参考に、自社のScope 3排出量がどのカテゴリ(例:購入した製品・サービス、輸送・配送)から多く発生しているのか、概算値を把握しましょう。これにより、優先的に取り組むべき領域が見えてきます。
- 主要サプライヤーとの対話: 最も取引額の大きいサプライヤーや、キーとなる部品を供給するサプライヤーと、サステナビリティに関する対話を開始しましょう。情報共有の必要性を伝え、現状の課題や協力の可能性について意見交換することが第一歩です。
- 業界団体や標準化機関の情報収集: GS1 Japanなどの団体は、トレーサビリティに関するセミナーや資料を提供しています。最新の技術動向や国内の導入事例を学ぶことで、自社に最適なソリューションを見つけるヒントが得られます。
これらの取り組みは、2025年以降本格化するとされる物流DXの潮流に乗る上でも極めて重要です。
詳しくは、こちらの記事もご覧ください。
2025年物流DX トレンド|物流業界への衝撃を徹底解説[企業はどう動く?]
まとめ:トレーサビリティは、持続可能なサプライチェーンの「共通言語」になる
Scope 3報告への対応を起点とするトレーサビリティの導入は、もはや単なる環境対策ではありません。それは、複雑化するグローバルサプライチェーンにおけるリスクを管理し、新たな市場価値を創造するための、戦略的なDX投資です。
将来的には、トレーサビリティの仕組みはブロックチェーン技術と結びつき、データの改ざん耐性と信頼性を飛躍的に向上させるでしょう。また、収集された膨大な移動データをAIが解析し、最適な輸送ルートや在庫配置を自動で提案するような、より高度なサプライチェーンマネジメントが実現するはずです。
この変革期において、物流企業は単なる「運び手」に留まらず、サプライチェーン全体のデータを収集・分析し、荷主企業にScope 3削減のコンサルティングを提供する「データプロバイダー」としての新たな価値を発揮できる可能性があります。
規制対応という受け身の姿勢から脱却し、トレーサビリティを競争優位の源泉として活用できるか。企業の未来は、その意思決定にかかっています。


