公正取引委員会と中小企業庁は2026年10月7日、サプライチェーン全体における価格転嫁と取引適正化の実効性を高めるため、有識者による「企業取引研究会」を立ち上げました。中小企業庁の調査で4次請け以上の価格転嫁率が約4割にとどまるなど、取引階層が深くなるほどコスト転嫁が進まない実態を受け、商慣習の改善に向けた具体的な制度見直しを検討します。
ルール整備先行と現場定着の乖離がもたらした研究会発足の経緯
政府はこれまで、サプライチェーンにおける取引適正化を目指し、法令や告示の整備を段階的に進めてきました。2025年5月に成立した改正下請法(中小受託取引適正化法/取適法)は2026年1月に施行され、資本金要件に加え従業員基準が新設されるなど、規制対象の網が広がっています。さらに、2026年6月には改正物流特殊指定や支払告示が公表され、優越的地位の濫用ガイドラインの改定や知財取引指針の策定が行われました。
しかし、制度面での枠組みが整う一方で、実際の商取引現場における定着には大きな開きが生じています。中小企業庁が実施する「価格交渉促進月間フォローアップ調査」や公正取引委員会の「価格転嫁円滑化の取組に関する特別調査」では、取引の階層が深くなるほど価格転嫁が進まず、旧来の商慣習が取引適正化を阻害している実態が継続して確認されています。
こうした制度と実態の乖離を解消するため、両機関の共催により企業行動の変革を促す具体策を議論する場として、今回の研究会が設置されました。
取引適正化に関する法制度・告示の整備タイムライン
取引環境の是正に向けた法改正および関連告示の公布・施行の時系列は以下の通りです。
| 年月 | 制度・政策の動き | 主な内容と規制のポイント |
|---|---|---|
| 2024年(令和6年)12月 | 企業取引研究会報告書の公表 | 下請法見直しや物流分野の取引適正化に向けた課題を整理 |
| 2025年(令和7年)5月 | 中小受託取引適正化法(取適法)成立 | 旧下請法を抜本改定。従業員基準の追加や特定運送委託を創設 |
| 2026年(令和8年)1月 | 改正下請法(取適法)施行 | 従業員300人超の基準適用や手形払の制限が運用開始 |
| 2026年(令和8年)6月 | 改正物流特殊指定・支払告示の公表 | 着荷主規制の新設、60日を超える代金支払遅延の禁止を明文化 |
| 2026年(令和8年)10月 | 新「企業取引研究会」の開催発表 | サプライチェーン深層での転嫁停滞・商慣習是正に向け再始動 |
| 2027年(令和9年)4月 | 改正物流特殊指定・支払告示の施行予定 | 特定着荷主の附帯作業強要禁止やサイト短縮の完全義務化 |
官公庁調査データが示す価格転嫁の階層間格差
公正取引委員会および中小企業庁が公表した調査データからは、一次下請と二次以降の深層サプライヤーとの間で、価格転嫁の進捗に明確な格差が存在することが示されています。
中小企業庁が2026年6月に公表した価格交渉促進月間(2026年3月期)のフォローアップ調査結果では、全体の平均価格転嫁率は54.2%となっています。費目別に見ると、原材料費の転嫁率が55.7%、労務費が50.0%、エネルギーコストが48.9%となっており、上昇したコストの約半分しか販売価格や運賃に反映できていません。
とりわけ深刻なのが取引階層による格差です。発注元から直接業務を受託する1次請け企業では価格転嫁率が5割を超えているのに対し、多重下請けの深層に位置する4次請け以上の企業では転嫁率が約4割まで落ち込んでいます。階層が深くなるにつれて発注者との直接交渉の機会が失われ、労務費や燃料費の上昇分が末端の事業者に押し付けられる構造が浮き彫りとなっています。また、業種別の集計においても、トラック運送業の転嫁率は全32業種の中で最下位水準に低迷しています。
公正取引委員会が2025年12月に公表した「価格転嫁円滑化の取組に関する特別調査」でも、労務費上昇に伴う受注側の価格引き上げ要請に対し、一次受注者から二次・三次受注者へと商流が深くなるほど受諾率が低下する傾向が指摘されています。
企業取引研究会の構成と検討体制
研究会は、法学者、経済学者、法曹関係者に加え、経済団体、労働組合、中小企業団体の代表者など多角的な視点を持つ有識者で構成されています。
座長には東京大学の神田秀樹名誉教授が就任し、日本経済団体連合会(経団連)、経済同友会、日本労働組合総連合会(連合)、全国中小企業団体中央会、日本商工会議所の幹部が委員として参画しています。また、関係省庁として公正取引委員会事務総局と中小企業庁が事務局を務め、金融庁、総務省、農林水産省、経済産業省、国土交通省がオブザーバーとして加わっています。
研究会は自由闊達な意見交換を担保するために非公開で行われますが、審議の透明性を確保するため議事要旨は速やかに公表される運用が採られます。
参考記事: 下請法(物流業の適用)とは?2026年改正のポイントと現場で求められる実務対応
サプライチェーン各プレイヤーに及ぶ取引環境の変化
研究会で議論される優越的地位の濫用防止策と商慣習の是正は、物流に関わる荷主、運送会社、倉庫会社の取引実務に直接的な影響を及ぼします。
運送事業者:多重下請けの深層における実質運賃の改善
トラック運送業界は、元請から下請、孫請へと連なる多重下請構造が常態化しており、下層に位置する実運送事業者ほど価格交渉力を持ちにくい構造が続いてきました。中小企業庁の調査でもトラック運送業の転嫁率が3割台半ばにとどまっている背景には、実運送を行う中小零細事業者が元荷主と直接対話できず、中間マージンを差し引かれた運賃で運行を引き受けざるを得ない実態があります。
今回の研究会において、サプライチェーンの深い層まで価格転嫁を行き届かせる施策や、優越的地位の濫用を抑止する運用が検討されることは、多重下請けの下流に位置する運送事業者にとって収受運賃を適正化させる契機となります。2027年4月に控える改正物流特殊指定の施行とも連動し、契約外の附帯業務や燃料サーチャージ、待機時間料を正当に請求するための制度的包囲網が強化されます。
一方で、運送事業者側にも変化が求められます。単に値上げを要請するだけでなく、自社の運行ごとの人件費や燃料費、固定費を客観的に示す原価データの整備が不可欠です。
参考記事: アセンド調査、価格転嫁率27.3%の壁を破るコース別原価管理の実践
製造業者・メーカー:形式的な書面対応から調達慣行そのものの変革
メーカーや製造業者は、改正下請法(取適法)への対応として、契約書の電子化や3条書面の交付といった形式的なコンプライアンスを進めてきました。しかし、研究会が焦点とするのは、そうした表面的な手続きにとどまらない「企業行動そのものの変革」です。
自社が直接発注する1次サプライヤーや元請運送会社だけでなく、その先に存在する2次・3次サプライヤーや実運送事業者にまで労務費・材料費・エネルギー費の上昇分が行き渡っているかを監視・点検するサプライチェーン管理が求められるようになります。自社が1次サプライヤーに適正な対価を支払っていても、商流の下流で買いたたきや据え置きが行われていれば、部品や原料の供給停止、輸送力の調達破綻といった事業継続リスクに直結します。
また、調達側としての行動だけでなく、製品を出荷する「特定発荷主」あるいは原材料を受け入れる「特定着荷主」としての立場からも、納品先での荷待ちや付帯作業の発生実態を把握し、自社発注基準を抜本的に見直す必要があります。
参考記事: 公正取引委員会、2027年4月施行の物流特殊指定で着荷主の無償荷役を禁止
倉庫事業者・3PL:労務費と光熱費の適正転嫁を支える制度的担保
物流拠点を運営する倉庫事業者や3PL企業においても、近年の電気料金高騰による冷凍・冷蔵保管コストの増加や、庫内作業員の賃金引き上げが経営を圧迫しています。これまで倉庫保管料や荷役料は、荷主企業との長期的な力関係から据え置かれるケースが多く、コスト上昇分を自助努力で吸収してきた経緯があります。
研究会を通じて、業界ごとに残存する商慣行の改善方針が示されることは、保管料や作業単価の改定を荷主へ申し入れる強い根拠となります。特に2026年6月に公表された支払告示では、事業者規模を問わず代金支払期日を原則60日以内とする基準が明記されており、資金繰り改善の後押しとなります。
今後は、寄託契約や業務委託契約において、基本保管料と荷役作業料、流通加工料を明確に区分して見積もりを提示し、労務費上昇分の価格転嫁を定例協議のテーブルに乗せる実務対応が重要になります。
参考記事: 物流特殊指定の2027年4月改正、着荷主の荷待ち・無償荷役を禁止へ|公取委の規制基準と実務対応
LogiShiftの視点:制度制定から「実効性確保」へ移行する取引適正化の力点
取引適正化法制を取り巻く環境は、改正法の成立や告示の公表という「制度設計フェーズ」を終え、いかにサプライチェーンの隅々にまでルールを定着させるかという「実効性確保フェーズ」へ完全に軸足を移しました。
これまで国土交通省の「標準的な運賃」が示されながらも、実態調査では利用事業者の過半数が告示水準の5〜7割の収受にとどまるなど、法的拘束力のないガイドラインや指標だけでは、構造的な買いたたきを解消できない限界が露呈していました。公正取引委員会と中小企業庁が、2026年1月の取適法施行および2027年4月の改正物流特殊指定施行という節目に挟まれたこのタイミングで研究会を再始動させた理由は、制度の形骸化を未然に防ぐ点にあります。
注目すべきは、中小企業庁のフォローアップ調査で示された「4次請け以上の価格転嫁率約4割」というデータに直接紐づく対策が検討される点です。元請から下請へ、下請から孫請へと価格改定の原資が減衰していく「サプライチェーン減衰問題」に対し、優越的地位の濫用ガイドラインの適用強化や立入調査の対象拡大といった実効性ある執行手段が具体化される公算が高いといえます。
荷主企業にとっても運送企業にとっても、従来の商慣行を盾にした価格据え置きや無償役務の強要は、もはや行政処分や社名公表のリスクを直接引き寄せる行為となります。契約関係の有無にかかわらず、実運送・実作業を行うプレイヤーが持続可能な対価を得られる商流へと再構築できているかどうかが、サプライチェーン全体の維持可能性を直接決定づけることになります。
参考記事: 国交省標準運賃、53%が収受5〜7割止まりで強制力欠如が課題
明日から現場が意識すべき実務対応
サプライチェーン深層における商慣習の是正に向け、発注側・受注側それぞれの現場で即座に着手すべき実務対応は明確です。
- 自社のサプライチェーン階層と下請構造の可視化
自社が発注している物流案件や製造委託について、何次請けの事業者が実務を担っているかの階層構造を把握します。多重下請けの中間マージンによって末端の事業者に労務費上昇分が届いていないリスクを点検し、直接契約への切り替えや運賃水準のモニタリングを実施します。
- コスト内訳に基づく価格改定プロセスの標準化
受注側は、労務費、燃料費、施設維持費の各費目における上昇額を客観的データとして整理し、発注側へ提示する手順を定型化します。発注側は、サプライヤーからの協議申し入れに対し、一方的な据え置きや回答遅延を行わず、原価根拠に基づき定期的に単価を見直す社内決済フローを構築します。
- 2027年4月施行告示に合わせた契約書面と拠点の総点検
2027年4月に施行される改正物流特殊指定および支払告示を見据え、支払サイトの短縮(60日以内)や、附帯荷役・待機時間の費用負担を明記した契約書への更新を進めます。着荷主となる物流拠点や工場では、トラックの入退場実績や待機時間を計測し、無償作業の指示が発生していないか運用実態を点検します。
出典: 公正取引委員会
出典: 中小企業庁
出典: 公正取引委員会(特別調査)



